ハンドスピナー

子どもがお子様ランチを頼むと、カゴに山盛りになったおもちゃから好きなものを一つ選べる。あるいはコインを一つ渡されて店内のガシャポンを引くことができる。家族で外食へ行くたびにもらってきた小さなおもちゃが、家の中に数十個は溜まっているはずだ。子どもが暇なときに指先で回している赤いハンドスピナーも、きっとそのうちの一つだろう。わずか数秒で止まってしまう粗悪品を飽きずに回し続けている。本来のハンドスピナーは何分も回り続けるのだと知ってほしいと思い、通販で探してみたが品薄になっている。中国からの輸入が滞っているのか、あるいは世界中で暇を持て余している子どもたちに親が買い与えたのか。今日も7才の姉が1才の弟にハンドスピナーを渡して、こうやって回すんだよと教えていたが、すぐに回転は止まってしまう。

保育園の布おむつが紙おむつに変わった。布おむつの業者の配送が難しくなったという。どの工程がどのように難しくなったのか具体的には分からないが、当分のあいだ紙おむつになる。やはり、おむつ用の名前ハンコを買っておくべきだったか、と反省する間もなく保育園は登園自粛となり、布団等の荷物一式を持ち帰った。次に登園できるのは1ヶ月後、ではなく、きっと秋になるだろう。1才児が先生の顔を忘れないくらいの休みであってほしい。

小学校へ新しい教科書をもらいに行き、新しい教室の写真を撮った。俺自身は学校という場所に良い思い出がないし、行事で子どもの学校へ行くことにも興味がない。ただ、子どもには早く、この日当たりの良い教室へ来てほしいと思った。日が差し込んで明るい教室は悪いものではなかった。

焼き芋やふかし芋としては美味しくなかったサツマイモを、豚肉やタマネギといっしょに牛乳で煮込んで、チーズをかけて焼いたグラタンがとても美味しかった。パサパサして味の薄かった芋が、しっとりとして甘い芋に変わった。料理はなるべく少ない手順で素早く作りたいが、食材がいまいちなときは手間暇をかけることも必要なようだ。牛乳で煮込むくらいは大した手間でもない。

 

水たまり

来月末まで忙しいため今日も仕事。子どもたちを妻に見てもらい、部屋にこもってコーディングしていた。休日に遊んでいるときはツイッターをあまり見ないが、仕事が忙しいときほどツイートが多くなる。集中すべきだが、これはもう治らないのかもしれない。夜1時までは仕事を続ける予定。

古いスマホを子どものカメラ専用機として渡した。俺はミラーレスのカメラを持って、子どもはスマホを持って、自宅のまわりを少し散歩した。写真というのは何を撮っても自由だ、好きなように撮ってみなと伝えた。子どもは運動靴で水たまりに入っていき、水たまりから出てくると、路面にできた足跡を撮っていた。「いい写真でしょ」と子どもが得意気に言うのがとても良かった。写真趣味にもっとも大切なのは、自分は天才であると自己肯定感を持つことだ。他人に何を言われようと自分が良いと感じる写真は絶対に良い。その肯定感だけで一生を過ごしてほしい。水たまりのほかには桜や野草や一軒家やマンションなどを撮っていた。建築写真家になるかもしれない。

いいかげんに緊急事態宣言が出るだろうと俺が思っていた日から、数日が過ぎても未だに宣言が出ていない。名前を書くのもいやな首相には強烈な敵意を抱いているが、それを薄める意味もあって毎日なるべく日記を書いている。多少は楽しいこともあったのに、書かないと記憶の底に埋もれてしまう。SNSでは代わりにならない。日記が必要だ。

コウペンちゃん

3ヶ月ぶりに髪を切った。次回の散髪をなるべく延期するためスポーツ刈りにしてもらう。床屋へ行くたびに不安になるのだが、スポーツ刈りという名前からは髪型を連想するのが難しい。あるいは俺の親や親族や埼玉県民だけがスポーツ刈りと呼んでいて、江戸川を渡って千葉県に入るとスポーツ刈りとは呼ばないのかもしれない。店に入ってから名前を呼ばれるまでの僅かな時間にスマホで「スポーツ刈り」と画像検索し、問題なさそうなので散髪用の椅子に座ってお兄さんに「スポーツ刈り」と頼んだ。なぜかお兄さんからの返事がなく、やはり通じないのかと焦ったものの少し時間をあけて「バリカン入れていいですか」と返事があった。江戸川に七色の虹の橋が架かって埼玉県民と千葉県民が通じ合った瞬間である、と言えば大げさだが無事に思い通りの髪型となった。やや後退した生え際がM字型でもあり、コウペンちゃんのようでもある。えらーい、といっても東京弁の意味なのか、鳥取弁の意味(≒しんどい)なのか判断に迷うところだが、とりあえず髪を切って俺はえらい。結局のところなぜスポーツ刈りというのか分からないままだ。

昨日は妻が買ってきたウドを酢味噌和えにした。ウドを料理するのは初めてのことで、スマホで調べながら酢水でアクを抜いた。熱湯にくぐらせたりはしないのだな。知らなかった。子どもにこれは何かと聞かれたので画像検索のウド鈴木を見せた。今日はまたスーパーでタケノコを買い、皮ごと2時間くらい蒸した。きっと鮮度が良かったのだろう、舌が痺れるようなエグみは皆無で、とても美味しい。わかめと麺つゆで和えて夕食に出した。時間があれば出汁をとりたかったが、仕事の合間にやっているので多少は手抜きだ。明日の食事は妻に頼もうと思うが、俺も時間のあるときにまたミートソースを作って冷凍保存しよう。

ケーキ

夕飯の献立を考えたり買物に行ったりが面倒なときにはミートソースを作る。早茹でのスパゲティにかけてもいいし、食パンに挟んで焼いてもいいし、白飯にかけてチーズのせて焼いてもいい。翌日の朝食や昼食作りの手間を省ける。野菜のみじん切りには10分かからないし材料をホットクックにぶちこんで保育園の迎えに行っているあいだに出来上がる。昨日はレシピの4倍の量のタマネギを刻んで、コンソメの代わりに味噌を入れたら甘くて美味しいと好評だった。俺と妻はどんな料理にも味噌を入れるから消費量が多い。2月に仕込んだ味噌は秋まで食べられないから、いまは宅配で買ったのを食べている。

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スーパーの空いている時間帯に買い出しへ行っているが、遠からず外出も難しくなるだろうと考えてコープの宅配に加入した。注文しない週にも80円の手数料が掛かるのだが、そのくらいは躊躇なく払える年齢になった。年齢の問題かどうかは知らないけども。それとは別に乾物や缶詰などを多めに蓄えている。本当は個人の蓄えに頼らない仕組みを整えてほしい。

桜が満開になったあと週末に雪が降り、昨日は冷たい雨が降り、今日は朝からよく晴れて桜がやたらと綺麗に見えた。時間が遅々として進まないように思えても季節は進んでいる。細かな季節の変化をなるべく察知して大げさに喜びたい。娘は小学校で、息子は保育園でそれぞれ進級したことを祝い、昨日はケーキを買ってきて食べた。夕食時のNHKニュースで不景気の話をしていたことに便乗し、娘が国語辞典で「けいき」を調べている隙にケーキを出してくるという小細工をした。

 

めがね

4台の車をヒッチハイクで乗り継いだあと、次の車を拾うのが面倒になり、最寄りの駅まで歩き始めた。最寄りといっても徒歩で2時間はかかる。安物ゆえに重たいテントや寝袋や炊事道具を背負い、小雨のぱらつく薄暗い空の下を、北へ向かって歩いた。眼鏡をかけて遠くをしっかり見つめていても、眼鏡を外して視界がぼやけていても、状況にはしばらく変化が起こりそうになく、それなら、ぼやけた視界でただ無心に歩いたほうがいいと思い、眼鏡を外して歩いた。やがて常磐線のどこかの駅にたどりつき、さらに北へ向かって、いわき市の平ユースホステルの庭にテントを張らせてもらい、ぼんやりと海だけ眺めて過ごした。大学受験に失敗して二浪が決まった2004年3月のことだった。

このとき以来、何らかの不安を感じたときには、眼鏡を外すという奇妙な癖がついた。情報過多で頭が回らなくなり身動きできなくなったとき、視界をぼやけさせてしまえば、自分の目の前にあることから手をつけられる。遠くのものがはっきり見えていても遠くのものには手が届かない。それなら遠くを見つめる必要はないし、目を開けている必要さえ無いのかもしれない。遠くが見えていても、たどり着くまでに風景が様変わりしていることもある。いたずらに情報をかき集めたり遠い将来を予測して不安に陥るくらいなら、目の前に現れてくるものに都度、対処していくほうがいいと思った。

再訪しようと思っていた平ユースホステルは津波で無くなった。二浪して入った大学もあっさり中退した。予想のできないことが次々に起こり、遠い将来を見通すなんて無意味だという思いが年々強まっている。来年のことは分からないし来月のことも分からない。ぼやけた風景の中をいまだに北へ向かって歩き続けているような感覚がある。今日も雨が降って薄暗い空だった。

明日は晴れて暖かいらしい。東北も晴れるだろうか。どうやっても晴れやかな気分にはなれない一日を、なるべく、ぼやけた視界で過ごそうと思っている。