草千里

鮪の血合いを半額の198円で買った。自宅に帰ってパックの重さを量ると520gもある。こんなに美味しいものがタダ同然の値段なのはおかしい。たとえ5倍の値段でも俺は買う。ぶつ切りにして1時間ほど水にさらし、醤油・酒・砂糖・千切りショウガで煮つけにした。すぐに食べるよりも、冷蔵庫で一晩置いたほうが美味しい。煮こごり、というのだろうか。

今週から息子は保育園へ、妻は職場へ復帰する。娘は来週から小学校が始まる。自宅にこもる生活に慣れてしまい、これが何ヶ月続いても大丈夫と思えていたはずが、制限の緩和が見えてきたとたんに息苦しくなり、どこか遠くへ出かけたくなった。出かけたところで自由を感じるわけでもない。行動範囲が狭まることが不自由で、行動範囲が広がることが自由、と単純なものでもなく、人はただそのときの気分だけで、自由や不自由を感じている。「人は」といえば主語が大きいなら、少なくとも自分はそうだ。

河川敷の原っぱに座り、1歳児と同じ目線で景色を眺めていると、原っぱと空は途方もなく広かった。堤防の向こう側の住宅街が見えなければ、ここが江戸川の河川敷なのか、阿蘇山の草千里にいるのか判別もつかない。しばらくはこの目線のままでいたい。

f:id:fellfield:20200419160138j:plain

 

腰・納豆菌・土

先週の月曜、眠っているあいだに腰を痛めたらしく、まともに歩けなくなった。30度ほどの前傾姿勢になると一応は歩けるが、たびたび電撃のような痛みが走って妙な声が出る。椅子に座ってPC作業をしているかぎり痛みはなく、仕事は問題なく進んだが、台所に立って料理をしたり1歳児を抱き上げることはできない。この日は全面的に妻に頼った。俺は料理ができないといいつつ大量の大豆を洗って水に浸し、冷蔵庫へ入れた。

水曜日、吸水して膨らんだ豆をホットクックで蒸した。今まで何度も納豆を作ってきたが、吸水や加熱が足りなかったのか、噛み応えのある納豆になったことが多い。今回は4時間かけて蒸したので歯が無くとも歯茎で押しつぶせるほどの柔らかさになった。我が家の1歳児はもう歯が生えそろっているし腕を噛まれれば歯形が残る。直立してどこまでも転ばずに歩いて行ける。俺の腰の痛みは変わらないが、前傾姿勢は15度くらいになった。1歳児のほうが真っすぐ立っている。

木曜日、粉末の納豆菌を混ぜた大豆を、ホットクックで24時間の保温にする。通販で買った納豆菌を振りかけるなんて、贅沢な作り方をしているなと感慨深い。昔、一人暮らしを始めたときに読んだ川上卓也『貧乏神髄』では、田んぼで藁を拾ってきて煮沸消毒すると書かれていた。納豆菌だけが生き残り、他の雑菌はすべて死滅するらしい。とはいえ当時の俺も田んぼへ藁を拾いに行くことはなく、市販の納豆をすすいだ湯から納豆菌を取り、魔法瓶に豆と菌を入れて保温したのだった。

金曜日、発酵を終えた納豆を冷蔵庫に入れた。しばらく寝かせると旨みが出るらしい。それにしても納豆づくりに5日間もかかるなんて「一週間」の歌みたいだな、と内心で思っていたら、妻にも「一週間」の歌みたいだねと言われた。月曜日に大豆を洗い、火曜日は大豆を浸し、水曜日に大豆を蒸して、テュリャ テュリャ テュリャ テュリャリャ。

土曜日、腰の痛みはだいぶ引いて、前傾姿勢は5度くらいになった。30度→15度→5度と写真を並べてみたら類人猿の進化図になりそうだ。

日曜日、アパート前で子どもたちと遊んでいると郵便局の車が着いた。いつも荷物を届けてくれる顔見知りの老夫婦に挨拶する。おばあさんは腰が曲がっていて、2階の部屋までゆっくりと階段を昇ってくるので、なるべく俺が1階に降りて受け取っている。この日はたまたま1階にいたので自分でやりますと伝え、軽ワゴンから4箱の大きな段ボールを自分で降ろした。通販で買ったプランターと10kgの土を持ち上げても痛みはない。腰はようやく完治したようだ。配達のおじいさんはおそらく70代だと思うが、週末にも休みなく配達しているようで、こんな重たいものを通販で買ってしまい申し訳なかった。

月曜日、今日は朝から仕事が忙しく、まだプランターに土は入れていない。たくさん作ったはずの納豆は子どもたちが食べ切ってしまった。明日はまた大豆を洗い、水曜日に大豆を蒸して、金曜日に食べる。

ペンギン

Amazonで9千円台のプロジェクターを買った。iPadとつないで部屋の白い壁にNetflixを映し、ピングーを流すと1歳児が跳びはねて喜んだ。続けてOUR PLANETの南極の回を映すと、やはり目を輝かせて見入っていた。どちらも同じペンギンだと気付いているのかは分からない。壁に映像が映し出されて、動き回っていることに興奮しているだけにも見える。安い買い物ではないので何日も迷ったが、奮発して買って良かった。

気が塞ぐことも多いが、良いこともある。妻や子どもたちが家にいてくれるのは賑やかで楽しい。本人にも直接言っているが、妻はとても素敵な人で、一緒に暮らしていて毎日楽しい。いつか元の日常が戻ってきても家にいてくれたら、と思わないでもないが、在宅勤務できる職種ではない妻にはストレスも多いだろう。やはり元のように通勤できるようになってほしい。

明日は雨風が強まるらしい。店は混まないだろうから買い物に行くチャンスかもしれない。野菜・魚・酒などを買いたいが、酒は程々にしたほうが良いのだろう。今この日記は缶ビール1本飲んで、眠たいのを堪えながらスマホで書いている。酒に弱くて本当に良かった。金が掛からない。

ハンドスピナー

子どもがお子様ランチを頼むと、カゴに山盛りになったおもちゃから好きなものを一つ選べる。あるいはコインを一つ渡されて店内のガシャポンを引くことができる。家族で外食へ行くたびにもらってきた小さなおもちゃが、家の中に数十個は溜まっているはずだ。子どもが暇なときに指先で回している赤いハンドスピナーも、きっとそのうちの一つだろう。わずか数秒で止まってしまう粗悪品を飽きずに回し続けている。本来のハンドスピナーは何分も回り続けるのだと知ってほしいと思い、通販で探してみたが品薄になっている。中国からの輸入が滞っているのか、あるいは世界中で暇を持て余している子どもたちに親が買い与えたのか。今日も7才の姉が1才の弟にハンドスピナーを渡して、こうやって回すんだよと教えていたが、すぐに回転は止まってしまう。

保育園の布おむつが紙おむつに変わった。布おむつの業者の配送が難しくなったという。どの工程がどのように難しくなったのか具体的には分からないが、当分のあいだ紙おむつになる。やはり、おむつ用の名前ハンコを買っておくべきだったか、と反省する間もなく保育園は登園自粛となり、布団等の荷物一式を持ち帰った。次に登園できるのは1ヶ月後、ではなく、きっと秋になるだろう。1才児が先生の顔を忘れないくらいの休みであってほしい。

小学校へ新しい教科書をもらいに行き、新しい教室の写真を撮った。俺自身は学校という場所に良い思い出がないし、行事で子どもの学校へ行くことにも興味がない。ただ、子どもには早く、この日当たりの良い教室へ来てほしいと思った。日が差し込んで明るい教室は悪いものではなかった。

焼き芋やふかし芋としては美味しくなかったサツマイモを、豚肉やタマネギといっしょに牛乳で煮込んで、チーズをかけて焼いたグラタンがとても美味しかった。パサパサして味の薄かった芋が、しっとりとして甘い芋に変わった。料理はなるべく少ない手順で素早く作りたいが、食材がいまいちなときは手間暇をかけることも必要なようだ。牛乳で煮込むくらいは大した手間でもない。

 

水たまり

来月末まで忙しいため今日も仕事。子どもたちを妻に見てもらい、部屋にこもってコーディングしていた。休日に遊んでいるときはツイッターをあまり見ないが、仕事が忙しいときほどツイートが多くなる。集中すべきだが、これはもう治らないのかもしれない。夜1時までは仕事を続ける予定。

古いスマホを子どものカメラ専用機として渡した。俺はミラーレスのカメラを持って、子どもはスマホを持って、自宅のまわりを少し散歩した。写真というのは何を撮っても自由だ、好きなように撮ってみなと伝えた。子どもは運動靴で水たまりに入っていき、水たまりから出てくると、路面にできた足跡を撮っていた。「いい写真でしょ」と子どもが得意気に言うのがとても良かった。写真趣味にもっとも大切なのは、自分は天才であると自己肯定感を持つことだ。他人に何を言われようと自分が良いと感じる写真は絶対に良い。その肯定感だけで一生を過ごしてほしい。水たまりのほかには桜や野草や一軒家やマンションなどを撮っていた。建築写真家になるかもしれない。

いいかげんに緊急事態宣言が出るだろうと俺が思っていた日から、数日が過ぎても未だに宣言が出ていない。名前を書くのもいやな首相には強烈な敵意を抱いているが、それを薄める意味もあって毎日なるべく日記を書いている。多少は楽しいこともあったのに、書かないと記憶の底に埋もれてしまう。SNSでは代わりにならない。日記が必要だ。