小説

魚になりたい、鳥になりたい、猫になりたいなどの願望を聞くことはあっても、蟹になりたいとは一度も聞いたことがない。魚や鳥や猫の共通点といえば、実態は別としても「自由」の印象はある。魚のように自由に海を泳ぎまわりたい、鳥のように自由に大空を羽…

海から海へ

「短編」第200期参加・優勝作品(2019年5月12日) http://tanpen.jp/200/9.html 遠浅の海に足を浸しながら、ここにいるアサリの数を考える。広さを何平方キロと仮定し、などとフェルミ推定を使うよりも漁協に聞いたほうが早いのだろう。この海に棲みついてい…

川野

「短編」第67期参加・予選通過作品(2008年4月12日) http://tanpen.jp/67/26.html 荒川で友人と釣りをしていると、川下から静かに永谷園のお茶漬け海苔が流れてきた。ビニールの外装に包まれたそいつを拾い上げ、個装の紙袋が濡れていないのと、賞味期限ま…

海退

「短編」第66期参加・予選通過作品(2008年3月12日) http://tanpen.jp/66/17.html 勤めていたカメラ屋に長い休暇の届けを出して、海に向かった。何日か何週間後か判らないが、海に足を浸すことができれば、すぐにも帰ると書き残してきた。了承を得られたか…

沼蝦

「短編」第64期参加・優勝作品(2008年1月12日) http://tanpen.jp/64/17.html 新月の夜にヤマトヌマエビが全滅し、水槽の底砂にころりと転がっている様が昆虫のようで薄気味が悪いと思ったが、恭しく新聞紙にくるんで手を合わせた。土に埋めてしまおうかと…

回送

「短編」第56期参加・優勝作品(2007年5月12日) http://tanpen.jp/56/22.html 午後十一時を回った頃、武蔵野線の汽車を待ってプラットホームに立っていると、見慣れない古びた機関車が長編成の客車を牽いて「回送」と行先標示を掲げながら通過していった。…

年月

「短編」第52期参加・優勝作品(2007年1月12日) http://tanpen.jp/52/13.html 新しい蒲団と少ない荷物が置かれただけの小さな部屋に暮らしはじめた。空気の乾いた季節、わずかに残っていた湿気も窓枠に凍りついては解けて乾き、陽は差さないが暗がりという…

「短編」第51期参加作品(2006年10月26日) http://tanpen.jp/51/28.html 大学に二十二年前から常駐している警備員氏と話したのは、前期試験も終りかけた頃のことだった。以後一度も姿を見ないのは僕が余り学校に行っていないせいだけれど、雨が降らないと登…

上空

「短編」第43期参加・予選通過作品(2006年2月26日) http://tanpen.jp/43/21.html 北東の冷湿風を堰きとめる陣馬の山体から雲が涌き上り、白い雪を武蔵野陵に積らせる。雪のなかで昭和天皇は昏々と眠る。現人神だった彼が崩御した後に火葬されたなら骨が遺…

赤土に死す

「短編」第24期参加作品(2004年7月26日) http://tanpen.jp/24/21.html 民宿の小さな露天風呂に浸かって空を眺めていたとき、柵を飛びこえて青いねこが現れた。 あとでよくよく見れば紺を帯びた黒ねこだったが、西北西からの強い月光にさらされて青く輝いて…

海から

「短編」第23期参加作品(2004年6月26日) http://tanpen.jp/23/18.html 窓から手を伸ばして枝を折り取った。セミが鳴き止み、陽射しは容赦なく葉を焦がす。帽子を被らなければ、すぐにも顔が赤く灼けそうな日だった。階段を飛び降り、戸を開く。 先行するク…

「短編」第22期参加作品(2004年5月26日) http://tanpen.jp/22/11.html 支柱を交互に避けながら、思い出す。 天井から滴る水を見続けていた。コンクリのどこから滲み出ているのか子供には判らない。ただ、垂直な遮蔽物であると知らず、喩えるならブロック屏…