めがね

4台の車をヒッチハイクで乗り継いだあと、次の車を拾うのが面倒になり、最寄りの駅まで歩き始めた。最寄りといっても徒歩で2時間はかかる。安物ゆえに重たいテントや寝袋や炊事道具を背負い、小雨のぱらつく薄暗い空の下を、北へ向かって歩いた。眼鏡をかけて遠くをしっかり見つめていても、眼鏡を外して視界がぼやけていても、状況にはしばらく変化が起こりそうになく、それなら、ぼやけた視界でただ無心に歩いたほうがいいと思い、眼鏡を外して歩いた。やがて常磐線のどこかの駅にたどりつき、さらに北へ向かって、いわき市の平ユースホステルの庭にテントを張らせてもらい、ぼんやりと海だけ眺めて過ごした。大学受験に失敗して二浪が決まった2004年3月のことだった。

このとき以来、何らかの不安を感じたときには、眼鏡を外すという奇妙な癖がついた。情報過多で頭が回らなくなり身動きできなくなったとき、視界をぼやけさせてしまえば、自分の目の前にあることから手をつけられる。遠くのものがはっきり見えていても遠くのものには手が届かない。それなら遠くを見つめる必要はないし、目を開けている必要さえ無いのかもしれない。遠くが見えていても、たどり着くまでに風景が様変わりしていることもある。いたずらに情報をかき集めたり遠い将来を予測して不安に陥るくらいなら、目の前に現れてくるものに都度、対処していくほうがいいと思った。

再訪しようと思っていた平ユースホステルは津波で無くなった。二浪して入った大学もあっさり中退した。予想のできないことが次々に起こり、遠い将来を見通すなんて無意味だという思いが年々強まっている。来年のことは分からないし来月のことも分からない。ぼやけた風景の中をいまだに北へ向かって歩き続けているような感覚がある。今日も雨が降って薄暗い空だった。

明日は晴れて暖かいらしい。東北も晴れるだろうか。どうやっても晴れやかな気分にはなれない一日を、なるべく、ぼやけた視界で過ごそうと思っている。