船を買う

書きかけて中断した小説たちの中に『架空の川を旅する』とタイトルをつけた作品がある。旅をする時間も金もない男が、実際には存在しない川をカヌーで下る旅を空想し、架空の紀行文を書く、という形式で書き始めたものの、あまりにも実感が無さすぎて(架空の川だから当然だ)、書くことが思い浮かばずに中断したのだった。

存在しない川の名前を考えるのはとても楽しかった。地名研究を趣味としているので、いかにも在りそうな名前を考えることはできる。世間に出回っているフィクションの中の地名はいかにも偽物っぽい、つまらない名前が多いのだが、俺が考える架空の地名や川の名前は一味違う。しかし中断した小説のことをいつまでも未練がましく書いていても仕方ないし架空の川の名前はすべて葬ることにした。さようなら。

川下りに憧れながらも実行に移せない男というのは俺自身なので面白い訳がない。いつか大人になったらカヌーを買おうと14歳のときに考え始め、30代になったら買おうと思っているうち36歳になり、最近では40代になったら買おうと考えていたが、このままだと80歳を過ぎても、90代になったらと考えていそうだ。90代の次って100代で良いのだろうか。聞いたことはないけれど。

先送りしているうちに人生を終える可能性が出てきたので、在庫があれば来月にでもカヌーを買うことにする。船体布とフレームをたたんで収納すれば95cm、組み立てれば460cmの長さになるファルトボートだ。これを架空の川ではなく実在する川に浮かべて、架空ではない川下りをして、川面からの風景について書きたい。実際の旅はいつでも空想を超えてくるから、架空の川下りについて小説を書いても面白いはずがない。あるいは書ける人がいるなら、その人に小説は任せてしまい、俺は実在する川のほうへ船を浮かべたいと思った。

海外の工場が春からしばらく操業停止していたらしくカヌーが品薄になっている。実際に船を水面に浮かべるときまでは地図帳やGoogleマップで川下りの候補地を探しながら空想を楽しむことにする。