送迎

保育園の送り迎えを始めた頃、子どもはまだ言葉も話せず、つかまって歩けるかどうかという時期だった。夕方、仕事を終えて園へたどり着くと、子どもはベビーフェンスの向こう側で遊んでいる。子どもを抱いて自転車を押しながら自宅まで歩く。子どもはまだ言葉を喋らないかわりに、何かしらの声を挙げていたのか、それとも眠りこけていたのか、僕の記憶にはあまり残っていない。

子どもの体が大きくなり、冬に重ね着をして抱っこひもに収まらなくなると、自転車の前座席とヘルメットを買った。前向きに座らせた子どもの表情は見えないが、時々子どもが振り返って話しかけてくる。いつのまに言葉を喋れるようになったのか、僕の記憶にはあまり残っていない。

さらに体が大きくなり、いつしか前座席にも収まらなくなると、自転車に後座席を取り付けた。子どもの表情は完全に見えなくなったが、子どもはますます元気に喋り、ついには大声で歌うようになった。時々、静かになったなと後ろを振り返ると眠っていたり、または眠ったふりをして、隠しきれずに笑ったりなどしていた。

後座席に収まらない大きさ、にはまだ成長していないが、最近は歩いて帰ることが多くなってきた。僕は通勤用のクロスバイクでそのまま園へ向かい、子どもと手をつないで歩く。しりとりを覚えた子どもに「ぼ」で終わる言葉で攻められて困ったり、手を離して走り始めるので追いかけたり、曲がり角や駐車場出口ではよく注意するようにと教えたりしている。並んで歩いていると、子どもの表情がころころ変わる様子がよく見えて面白い。自転車の座席に座らせていたときも、本当は同じように表情豊かだったのかもしれない。

保育園の送り迎えは残り1年3ヶ月となった。その後はひとりで小学校へ歩いて行くことになる。一緒に過ごす時間が少しづつ減っていくことを寂しいとはあまり思っていない。時々、今と同じように並んで歩く時間があれば、それで十分に楽しいだろうと考えている。

ボディキャップ魚眼レンズ

ヨドバシカメラで衝動的に9千円の魚眼レンズを買った。人生でいろいろと難しいことがあり、ふと思いきって視野を広げたくなったのだ。被写体を大きく写したければ自分が歩み寄れば済むことだけど、人間の目が持つ視野(約120度らしい)の外側にある風景は、フットワークでは獲得できない。だから時には道具に頼る。カメラレンズとしては非常に安い、しかし俺にとっては衝動買いできる上限に近い価格だが、これがともかく抜群に良いレンズだった。

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ぜんそく

市民プールで2時間ほど浮輪で遊び、帰って少し眠り、夕飯の買出しのためスーパーに行く。店に入って少し経った頃、賑やかだった子どもが急に静かになり、何も喋らずにぼろぼろと涙をこぼし始めた。それから大声で泣き続けるので買い物は中断し、どこか痛いのか苦しいのかときいても答えない。口の奥や喉のあたりに違和感がある様子で、声がうまく出せない、呼吸も苦しいという素振りを見せるので、これはもしかして喘息の軽い発作なのかと思い至った。

炎天下から冷たいプールに出たり入ったりして疲れたところに、冷房が強烈に効いたスーパーに入ったのが刺激になったのだろうと考えた。もちろん素人考えだから確信はないし明日は内科・呼吸器科へ連れて行く。ただし自分がかつて同じ症状によくなっていたのと、気管支喘息もどうやら遺伝したらしいと医者には言われたから、そう間違いでもない気はする。

自分の病気でも辛いときには辛いのだが、程度を自ら把握できるから、あまり深刻な気持にはならない。これが他人の場合だと、どのくらい辛いのかが分からず、程度を把握できないことが辛い。子どもはもうすぐ5歳になるから日常的には言葉でコミュニケーションしているけれど、今日は久しぶりに言葉が完全に通じなくなり、30分ほどまったく泣き止まないときは救急外来へ駆け込もうかと考えたほどだった。

最初の騒ぎから2時間が経ってようやく、少しづつ喋るようになり、時折、笑うようにもなって、絵本を読み聞かせると眠りについた。絵本「きしゃのゆ」を子どもは気に入っていて、風呂で汽車のエントツを洗うと鳥のフンが出てくるあたりでいつも笑う。今年の夏はもうプールには行かないし、運動も少し控えめにするが、かわりに図書館で多めに絵本を読ませることにする。

 こどものとも「きしゃのゆ」http://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=2564

ケルヒャー

先月の誕生日、妻からケルヒャーの高圧洗浄機をもらった。ユニットバスの分解掃除を、業者に頼めば2万近く掛かるけれど、そのお金で高圧洗浄機を買ったほうが楽しそうという話になったのだ。

ユニットバスの分解は、昨年に続いて2度目だ。前面のフタを外して浴槽や床が露わになると、そのままそっとフタを閉めたくなるくらい汚れている。けっして手で触りたくはない、ぶよぶよとした謎の物質におおわれていて、うっかり手がすべって指についたりすると最悪の気分になる。けれども今年はケルヒャーがあるから大丈夫だ。

水圧をMAXにして浴槽に発射すると、勢いよく飛び散った黒い汚れが、天井や壁や手足にひっついて最悪の気分になった。初めから全開にしてはいけない。弱い水流で少しづつ汚れを落とし、どうしても落ちない汚れには強く水を当てればいい。だんだんコツが掴めてきた。

浴室がピカピカになる頃には、水しぶきが霧のように充満して、頭から足まで全身ずぶ濡れになっていた。浴室の清掃業者の人は、この水しぶきにどう対応しているのか。全裸になるか宇宙服を着るくらいしか思いつかないけど、まあ企業秘密なんだろうなと思う。

車とカヌー

いつかお金に余裕ができたときは、車とカヌーを買おうと考えている。もしも買えなくても不満ではない。無ければ無いなりに人生は進んでいく。自由にどこへでも旅行できた独身のときより、不自由だけど賑やかで騒がしい今の生活を気に入っている。

webshop.montbell.jp

ヒッチハイクで旅行していた時期、計50~60台に乗せてもらい、その大半が仕事に向かう人々だった。埼玉から岩手へ、東京から大阪へ、茨城から山口へ移動する人々と会話しながら、俺もこうやって長距離を移動しながら働きたいものだと思った。場所に囚われないことが自由で魅力的に思えた。

時は流れて現在、だいたい亀戸・神田・神保町あたりを日替わりに仕事場としている。目論見はやや外れて、どこにいてもパソコン仕事だから大きな変化は感じられない。いつか日本中や世界中を旅しながらリモートワークすることがあっても、パソコンに向かっていては、心が亀戸から離れない気がする。

「移動すること」には昔も今も変わらず興味がある。なぜ人は移動するのかと日々考えている。そして一つどころから移動できないことは不自由ではなく、たとえば今の自分にとって必要なのは、働く時間を減らして亀戸のコメダ珈琲で本を読み、心だけカヌーに乗せて旅立つような自由だ。車の本とカヌーの本を読む時間を作らなければ。