お金の話

年末年始を心穏やかに過ごせるかどうかの要因として「お金に困っていないこと」が大きいと気付いたのは昨年のことで、つまり、自分の人生で初めてお金に困らない冬を迎えたのだけど、僕のいう「お金に困らない」とはすなわち「2~3ヶ月先までの生活費の見通しが立っている」程度でしかなく、あいかわらず貯金は少ない。いま暖かい服を着ていて、暖房の効いた部屋にいて、食料を買うお金がある、という程度のことで心穏やかに過ごせてしまうのは、良いことなのか悪いことなのか分からない。

『職業について「○○で食べていく」という表現がとても苦手だ』とツイッターに書いた。来年で僕も35歳になるのだし、稼がなければいけない、という気持ちも多少は涌いてきたのだけど、それがどうにも「食べること」には結びつかない。お金があってもなくても今まで食事をとらない日はなかった。お金がないときに耐乏生活で乗り切ったという話でもなく、ふつうに米を炊いていたし、具体的には月収7万のときでも食事には困った覚えがない。もちろん今は妻子がいるので月収7万では少し困るかなと思うけれど、それでも、「子どもを食わせるために働く」みたいな恩着せがましい言い方には強い抵抗感があって、僕はいざというときには「働きたくないからアルバイトしてくれ」と子どもに頼み込みたいと思っている。……あれ? やっぱり働かないと食えないのか? 脱線しそうなので段落を変える。

「懐が暖かい」「懐が寒い」などの慣用句が気温の高い低いではないと分かってはいるけれど、それでも、お金のない冬は本当に芯まで冷えきったように寒い。来年の今頃の目標としては、少なくとも冬を乗り切れる程度の貯金があること、としておきたい。それよりも多額のお金、たとえばゴーンさんのように僕が10億円を貰ったとしても、暖める部屋は2LDKしかないのだし、防寒着はもう高校生のときに買ったスキーウェアで十分に暖かいので買い足す必要がないし、食料もコープやダイエーで買うだろうから10億円はかからない。そういえばゴーンさんは田町の焼き鳥屋の常連だったらしいけど10億円分の焼き鳥を食べてた訳じゃないだろうし、それなら10億円も貰うんじゃないよ限度ってもんがねえのか。脱線しそうなので段落を変える。

あさっての仕事納めまでに仕事が納まるかどうかの瀬戸際なのに、気分転換を口実についブログを書き始めてしまったけれど、ここまでの所要時間は15分くらいだから大した脱線ではあるまい。10月に子どもが生まれてから仕事の合間に家事をやったり家事の合間に仕事やったり、食事作ったり掃除したり、上の子どもがおねしょすれば着替えさせて洗濯もしたり、仕事はいま一年で一番忙しい時期だったりとカオスだったのだけど、過ぎ去ってみると思いのほかあっさりと、すべての仕事をしっかりと片付けてしまっていた。仕事の合間に食事を作るのは大変だけど楽しくて、良い気分転換にもなっていた。

来年以降もずっと美味しいものを作ろう(俺の作る料理は旨い)、お金もそれなりには稼ごう。その二つは結びつけずに、できれば別々のものとして考えていこう。一人の人間が食べるために必要なお金はそれほど多くない(10億円は要らない)。人間は働かなくても食っていけるべきだ。