海退

「短編」第66期参加・予選通過作品(2008年3月12日)
http://tanpen.jp/66/17.html


 勤めていたカメラ屋に長い休暇の届けを出して、海に向かった。何日か何週間後か判らないが、海に足を浸すことができれば、すぐにも帰ると書き残してきた。了承を得られたかどうかは判らないが、一応、帰るべき場所はある。遠い海に続く幹線道路に立つと、時々、荷台にドラムバッグを括り付けた原付などが通り過ぎるのみで、乗せてもらおうと親指を立てても大きく手を振り返されて終わる。舗装路に薄く積もった灰色の砂埃が、原付のタイヤにまとわりついて離れないのを見る。遠ざかるエンジン音が正体不明の羽虫のようだと思い、鼻孔をくすぐられ本当の羽虫がいることに気付いた。静かに呼吸をする。

 僕が長らく自宅と職場に引き籠っていた間、季節は緩やかに巡り、薄日の射す天候が続きながらも木の葉は徐々に色づき、同時に海岸線は遠のいていった。漠然とした心持で遠くの干上がった海を夢想し、干上がった魚が市街に運ばれる様を思い浮かべるが、あるいは職場の休憩室で眠りに落ちるまで読んでいた短編の一節ではないかと思える。春先の黄ばんだ空が目に焼きついたせいか、補色である青の深まりを見せる現在の空が、濃度をさらに増して黒に近付いていくことを、なんとなく腑に落ちるように理解できるなら、海が遠ざかるより早く波打際に辿り着くべきだと結論を見出せる。

 過去に幾度も繰り返されているはずの海退を、目の当りにしている現在、普通の生活をすることには意味がない。海水が退いていくとき魚は一緒に流れていったのか、海藻に産みつけられた卵は残されたのか、それらの疑問が、僕の実生活には何の関わりもないけれど、事実を目に焼きつけたかった。それを書き残すこともなければ、写真に収めることもしないが、僕を拾いあげて海まで運んだ人々には何かしらの記憶が残るだろう。僕が魚と一緒に流れていったのか、陸地に取り残されたのか、記録には残らないほうが面白い。

 未だ海に辿り着くどころか、乗せてもらえる車一台さえ見つからないというのに、想像のなかで僕は頭から波をかぶって喜んでいる。再び鼻孔をくすぐられて我に返り、羽虫を追い払うが、乾いた空気中で湿りを求めているのだと思えば無下に殺すわけにもいかない。しばらく羽虫と格闘していると、羽音に紛れて一台のピックアップトラックが接近していた。左手を挙げて車を停める。助手席に乗り込むと、日焼けした初老の運転手は、海辺の町に帰るところだと言った。

沼蝦

「短編」第64期参加・優勝作品(2008年1月12日)
http://tanpen.jp/64/17.html


 新月の夜にヤマトヌマエビが全滅し、水槽の底砂にころりと転がっている様が昆虫のようで薄気味が悪いと思ったが、恭しく新聞紙にくるんで手を合わせた。土に埋めてしまおうかとも考えたが、厳冬期ゆえ分解はされないだろうと火曜日に荼毘に付した。要は燃えるごみの日に清掃車へ投げ込んだのだが、それも手を合わせれば赦されるだろうか。私とてヌマエビを死なす意図はなかったのだし、幾度かの脱皮を経て成長したあかつきには唐揚げにして食べてもよかったのだが、手を下すより早く、勝手に死んでしまった。この突然死は、新月の頃に起きやすいという脱皮不全であるらしい。

 正月が明けきらないうちの新月といえば、正に新たな月であるから縁起がよさそうなものだが、本当のところは満月の対に当たる。月明かりのない夜に脱皮する習性をなぜに身に着けたのか、私には解らないが、六十センチ水槽の水底において彼らが潮汐力の変化を察知していることは理解できる。サカナのような浮き袋を持たない彼らが水中に浮揚できず、手脚の動きを止めれば(手と脚の判別もつかないが)水底に降りていく彼らが底物と呼ばれ、これを大気との対比で書き表せば、空中に浮揚する飛行船と、底物として見上げる人間のようだと思う。違いといえば私が足掻いても空をちっとも飛べないことくらいで(これ以上は金子みすゞの領分)、本当のところは潮汐によって私と彼らは無自覚に影響されている。

 新月の夜に犯罪率が高まるという統計が、直接的には私の犯罪に繋がりはしないが、たとえば脱皮も産卵もしない私が昂奮のあまり自殺や他殺を企図したとしても、理解のつかないことではない。あるいは川に飛び込んでサカナの群れに混じったところで手脚の動きとは関わりなく水底に降りていくことになる。いや本当のことをいえば(などと小説で書くのは妙だが)、私は先述の統計を知っている時点において潮汐に無自覚ではないのだから、ヌマエビはヌマエビ、私は私だ。潮汐、月や太陽の運動に左右されて私が何かをすることはなく、関わった犯罪といえばヌマエビを死なせた程度のことで、それも過失致死であって殺したのではない。ただ、死んだあとにまで底砂に横たわって底物の命を全うすることもなかろう、水面に浮上しなければ、それこそ浮かばれないではないか。

 水槽を眺めながら慣れない一人称を使って小説など書いていると、気が滅入って、エビと一緒に気分も沈んだ。

回送

「短編」第56期参加・優勝作品(2007年5月12日)
http://tanpen.jp/56/22.html


 午後十一時を回った頃、武蔵野線の汽車を待ってプラットホームに立っていると、見慣れない古びた機関車が長編成の客車を牽いて「回送」と行先標示を掲げながら通過していった。客車には勿論のこと誰も乗り合わせているはずはないが車内には白い灯りが煌々と点ったままとなっていて、各々の車両には誰に示す為であるのか白地に黒い文字の「回送」が光り、目の前をそれらが通過するたび追っていたうちにいつしか自分が視られている気になり、回送の「回」の字は、目を象った記号ではないかと思われてくる。幾つもの目が次から次と、こちらを睨みながら、送られてきては去ってゆく。目、といえば、それも成り立ちは象形文字であったと記憶しているが、目、と書くよりは、回、と書いたほうが幾らか実際の目には近いように感じられる。或いはまた、目は口ほどに物を言う、と慣用句にあるが、回の字には口という字が二つも含まれている。それならば回の字はべつにこちらを凝視しているのでなく、口が二つ合わさっている、または、接吻をしていると考えられなくもないが、しかし接吻をするには二つの口の大きさは合わないようでもあり、口付けをすると見せかけて相手を呑み込もうとしているのでは、などとも考える。しかしよくよく見てみれば口という字も象形文字にしては随分と雑な造りをしている。唇のこれだけ薄い人間があろうか。ということは回の字はいまこそ口を表す漢字として採用されるべきである。回、と書いてみれば、これはなんだか唇の厚い女が、唇を尖らせているようである。そして回と回とが合わさって接吻をしたところで二つが一つに重なるのだから回のままである。しかしながら回を送って回送とは如何なる意味だろうか。今一度、目の前を流れてゆく回送列車に目をやれば、誰も乗り合わせていないと見えたのは誤りで、各々の車両には幾つもの回が光り、或いは回を尖らせて、こちらを凝視しながら、こちらを呑み込もうと大きく回を開けて構えていた。俺もまたこの蠱惑的な回送列車に惹かれて目と回を合わせ、唇と回を重ね、相手を呑み込んで一つに重なりたい衝動にかられて列車に吸い寄せられる。このとき自分の目には回送の標示が点っていたと思われる。回と回はこちらを呑み込むことなく行き過ぎてゆくばかりだった。俺は目を潤ませ、唇を尖らせながら、武蔵野線の汽車を待って立ちつくしていた。回送列車の回はやがて車庫に吸い込まれた。

年月

「短編」第52期参加・優勝作品(2007年1月12日)
http://tanpen.jp/52/13.html


 新しい蒲団と少ない荷物が置かれただけの小さな部屋に暮らしはじめた。空気の乾いた季節、わずかに残っていた湿気も窓枠に凍りついては解けて乾き、陽は差さないが暗がりという訳でもない、そのような冷たく乾いたところに僕は蒲団を敷いたままで立ち上がり、外の雑木林を眺め、座り込んでは眠ることを繰り返していた。樹々を揺さぶる空気の流れはやがて部屋に入り込み、一巡りして外へ出る。僕自身が外へ出る必要性は感じないのだった。陽の光にほとんど当らない生活ではあったが、一度、真夜中を過ぎた時刻に顔を照らされて目を覚まし、隣接する棟との間、狭い空に浮かぶ白い半月を見た。ああこれが下弦の月というものだなと考えて目を瞠った。月もまた冷えきって白く乾いた場所であると思った。この部屋に暮らすかぎりは僕が月を訪れる必要性は無いのだと考えながら眠りについた。

「短編」第51期参加作品(2006年10月26日)
http://tanpen.jp/51/28.html


 大学に二十二年前から常駐している警備員氏と話したのは、前期試験も終りかけた頃のことだった。以後一度も姿を見ないのは僕が余り学校に行っていないせいだけれど、雨が降らないと登校する気になれないのは、普通ではないなと思う。あの朝、未舗装の泥濘んだ駐輪場を長靴で歩き廻る彼に、何気なく挨拶をして教室に向かい、地理学の試験を終えて駐輪場に戻ったところで呼び止められた。傘を差した学生達が周りを行き交う中、灰色の制服に透明の雨合羽を着込んだ彼は雨でふやけたような顔で笑い、試験や夏季休暇についての話題の後、訥々と昔語りを始めた。彼がこの校地に着任したのは五十六歳のときで、現在は七十八だと言った。

 多摩校地が竣工した一九八四年は、僕が生れた年でもある。当時、学生運動が沈静化して数年が経ってはいたものの、都心の校地には依然として多くの活動家が居り、多摩での授業開始に合せて押し寄せて来ていた。ヘルメットと角材で武装した学生達が構内を歩き廻り、やがて連行されていく姿を彼は眺めていた。取り押さえるのは警備員でなく警察の仕事だった。昭和天皇が崩御したときには別の集団が多摩地域に流れ込み、それを追う機動隊が警杖と盾を携えて校地までやって来た。程無くして近くの山中に在るダム湖のほとりから迫撃弾が発射され、弾は御陵に届くことなく終り、多摩の学生運動もこの頃には下火となった。

 彼の話は次々と移り変わり、この校地で知り合いの七年生が最近ようやく卒業見込になったこと、以前はバイクで通勤していたが現在は電車で来ていること、彼の娘婿が交通事故の後遺症で亡くなったことなどを静かな口調で話した。話が途切れて十数秒の沈黙となったとき、僕は言葉を巧く挟むことができずに次の話を待つか、大して意味を持たない一言や二言を発していたように思う。僕も事故で足を折ったけれど今は快復している、と話し、無事でよかったと彼は頷いた。或いはまた彼が経験してきたことに気の利いた言葉を返そうと試みることが非礼に当るのではと思い、あとは聴くことに徹するばかりだった。僕は優れた聴き手などではなく、寡黙で不器用な聴き手だった。雨合羽に当る雨はいっそう強まり、それではまた、と彼は詰所のほうへ歩き去った。取り残されたような気持になって自転車に跨り、長い坂を下り始めると雨粒が顔に鋭い痛みを浴びせた。坂が終ると痛みは収まり、雨でふやけた手と顔が残された。