沼蝦

「短編」第64期参加・優勝作品(2008年1月12日)
http://tanpen.jp/64/17.html


 新月の夜にヤマトヌマエビが全滅し、水槽の底砂にころりと転がっている様が昆虫のようで薄気味が悪いと思ったが、恭しく新聞紙にくるんで手を合わせた。土に埋めてしまおうかとも考えたが、厳冬期ゆえ分解はされないだろうと火曜日に荼毘に付した。要は燃えるごみの日に清掃車へ投げ込んだのだが、それも手を合わせれば赦されるだろうか。私とてヌマエビを死なす意図はなかったのだし、幾度かの脱皮を経て成長したあかつきには唐揚げにして食べてもよかったのだが、手を下すより早く、勝手に死んでしまった。この突然死は、新月の頃に起きやすいという脱皮不全であるらしい。

 正月が明けきらないうちの新月といえば、正に新たな月であるから縁起がよさそうなものだが、本当のところは満月の対に当たる。月明かりのない夜に脱皮する習性をなぜに身に着けたのか、私には解らないが、六十センチ水槽の水底において彼らが潮汐力の変化を察知していることは理解できる。サカナのような浮き袋を持たない彼らが水中に浮揚できず、手脚の動きを止めれば(手と脚の判別もつかないが)水底に降りていく彼らが底物と呼ばれ、これを大気との対比で書き表せば、空中に浮揚する飛行船と、底物として見上げる人間のようだと思う。違いといえば私が足掻いても空をちっとも飛べないことくらいで(これ以上は金子みすゞの領分)、本当のところは潮汐によって私と彼らは無自覚に影響されている。

 新月の夜に犯罪率が高まるという統計が、直接的には私の犯罪に繋がりはしないが、たとえば脱皮も産卵もしない私が昂奮のあまり自殺や他殺を企図したとしても、理解のつかないことではない。あるいは川に飛び込んでサカナの群れに混じったところで手脚の動きとは関わりなく水底に降りていくことになる。いや本当のことをいえば(などと小説で書くのは妙だが)、私は先述の統計を知っている時点において潮汐に無自覚ではないのだから、ヌマエビはヌマエビ、私は私だ。潮汐、月や太陽の運動に左右されて私が何かをすることはなく、関わった犯罪といえばヌマエビを死なせた程度のことで、それも過失致死であって殺したのではない。ただ、死んだあとにまで底砂に横たわって底物の命を全うすることもなかろう、水面に浮上しなければ、それこそ浮かばれないではないか。

 水槽を眺めながら慣れない一人称を使って小説など書いていると、気が滅入って、エビと一緒に気分も沈んだ。

回送

「短編」第56期参加・優勝作品(2007年5月12日)
http://tanpen.jp/56/22.html


 午後十一時を回った頃、武蔵野線の汽車を待ってプラットホームに立っていると、見慣れない古びた機関車が長編成の客車を牽いて「回送」と行先標示を掲げながら通過していった。客車には勿論のこと誰も乗り合わせているはずはないが車内には白い灯りが煌々と点ったままとなっていて、各々の車両には誰に示す為であるのか白地に黒い文字の「回送」が光り、目の前をそれらが通過するたび追っていたうちにいつしか自分が視られている気になり、回送の「回」の字は、目を象った記号ではないかと思われてくる。幾つもの目が次から次と、こちらを睨みながら、送られてきては去ってゆく。目、といえば、それも成り立ちは象形文字であったと記憶しているが、目、と書くよりは、回、と書いたほうが幾らか実際の目には近いように感じられる。或いはまた、目は口ほどに物を言う、と慣用句にあるが、回の字には口という字が二つも含まれている。それならば回の字はべつにこちらを凝視しているのでなく、口が二つ合わさっている、または、接吻をしていると考えられなくもないが、しかし接吻をするには二つの口の大きさは合わないようでもあり、口付けをすると見せかけて相手を呑み込もうとしているのでは、などとも考える。しかしよくよく見てみれば口という字も象形文字にしては随分と雑な造りをしている。唇のこれだけ薄い人間があろうか。ということは回の字はいまこそ口を表す漢字として採用されるべきである。回、と書いてみれば、これはなんだか唇の厚い女が、唇を尖らせているようである。そして回と回とが合わさって接吻をしたところで二つが一つに重なるのだから回のままである。しかしながら回を送って回送とは如何なる意味だろうか。今一度、目の前を流れてゆく回送列車に目をやれば、誰も乗り合わせていないと見えたのは誤りで、各々の車両には幾つもの回が光り、或いは回を尖らせて、こちらを凝視しながら、こちらを呑み込もうと大きく回を開けて構えていた。俺もまたこの蠱惑的な回送列車に惹かれて目と回を合わせ、唇と回を重ね、相手を呑み込んで一つに重なりたい衝動にかられて列車に吸い寄せられる。このとき自分の目には回送の標示が点っていたと思われる。回と回はこちらを呑み込むことなく行き過ぎてゆくばかりだった。俺は目を潤ませ、唇を尖らせながら、武蔵野線の汽車を待って立ちつくしていた。回送列車の回はやがて車庫に吸い込まれた。

年月

「短編」第52期参加・優勝作品(2007年1月12日)
http://tanpen.jp/52/13.html


 新しい蒲団と少ない荷物が置かれただけの小さな部屋に暮らしはじめた。空気の乾いた季節、わずかに残っていた湿気も窓枠に凍りついては解けて乾き、陽は差さないが暗がりという訳でもない、そのような冷たく乾いたところに僕は蒲団を敷いたままで立ち上がり、外の雑木林を眺め、座り込んでは眠ることを繰り返していた。樹々を揺さぶる空気の流れはやがて部屋に入り込み、一巡りして外へ出る。僕自身が外へ出る必要性は感じないのだった。陽の光にほとんど当らない生活ではあったが、一度、真夜中を過ぎた時刻に顔を照らされて目を覚まし、隣接する棟との間、狭い空に浮かぶ白い半月を見た。ああこれが下弦の月というものだなと考えて目を瞠った。月もまた冷えきって白く乾いた場所であると思った。この部屋に暮らすかぎりは僕が月を訪れる必要性は無いのだと考えながら眠りについた。

「短編」第51期参加作品(2006年10月26日)
http://tanpen.jp/51/28.html


 大学に二十二年前から常駐している警備員氏と話したのは、前期試験も終りかけた頃のことだった。以後一度も姿を見ないのは僕が余り学校に行っていないせいだけれど、雨が降らないと登校する気になれないのは、普通ではないなと思う。あの朝、未舗装の泥濘んだ駐輪場を長靴で歩き廻る彼に、何気なく挨拶をして教室に向かい、地理学の試験を終えて駐輪場に戻ったところで呼び止められた。傘を差した学生達が周りを行き交う中、灰色の制服に透明の雨合羽を着込んだ彼は雨でふやけたような顔で笑い、試験や夏季休暇についての話題の後、訥々と昔語りを始めた。彼がこの校地に着任したのは五十六歳のときで、現在は七十八だと言った。

 多摩校地が竣工した一九八四年は、僕が生れた年でもある。当時、学生運動が沈静化して数年が経ってはいたものの、都心の校地には依然として多くの活動家が居り、多摩での授業開始に合せて押し寄せて来ていた。ヘルメットと角材で武装した学生達が構内を歩き廻り、やがて連行されていく姿を彼は眺めていた。取り押さえるのは警備員でなく警察の仕事だった。昭和天皇が崩御したときには別の集団が多摩地域に流れ込み、それを追う機動隊が警杖と盾を携えて校地までやって来た。程無くして近くの山中に在るダム湖のほとりから迫撃弾が発射され、弾は御陵に届くことなく終り、多摩の学生運動もこの頃には下火となった。

 彼の話は次々と移り変わり、この校地で知り合いの七年生が最近ようやく卒業見込になったこと、以前はバイクで通勤していたが現在は電車で来ていること、彼の娘婿が交通事故の後遺症で亡くなったことなどを静かな口調で話した。話が途切れて十数秒の沈黙となったとき、僕は言葉を巧く挟むことができずに次の話を待つか、大して意味を持たない一言や二言を発していたように思う。僕も事故で足を折ったけれど今は快復している、と話し、無事でよかったと彼は頷いた。或いはまた彼が経験してきたことに気の利いた言葉を返そうと試みることが非礼に当るのではと思い、あとは聴くことに徹するばかりだった。僕は優れた聴き手などではなく、寡黙で不器用な聴き手だった。雨合羽に当る雨はいっそう強まり、それではまた、と彼は詰所のほうへ歩き去った。取り残されたような気持になって自転車に跨り、長い坂を下り始めると雨粒が顔に鋭い痛みを浴びせた。坂が終ると痛みは収まり、雨でふやけた手と顔が残された。

上空

「短編」第43期参加・予選通過作品(2006年2月26日)
http://tanpen.jp/43/21.html


 北東の冷湿風を堰きとめる陣馬の山体から雲が涌き上り、白い雪を武蔵野陵に積らせる。雪のなかで昭和天皇は昏々と眠る。現人神だった彼が崩御した後に火葬されたなら骨が遺されたはずで或いはまた土葬であったとして白い骨は遺されている。その上空は常に青いのだが、青色が映りこみ、骨は仄かに青白いように思われる。

 御陵の所在地が多摩南西部の八王子市長房町であると知ったのは偶々僕が宅配寿司の仕事についていた為で、休憩中に賄いの赤身を醤油に浸し頬張りながら、眺めていた市域の住宅地図から探しあて、何故だかふと烈しい罪悪感に苛まれたのだった。御陵は参拝者が制限されていることもなく所在地は秘匿に扱われてなどいないが、何か不可侵であるものを遠い上空から偵察衛星によって不意に覗き込んでしまい狼狽したかのような、不可解な錯覚に囚われていた。

 四畳半に引き籠る日々とオートバイで寿司を運び続ける循環に追われて眼の端を疲労に歪め、赤い眼で眺める住宅地図はあまりに白く、配達先の老人が天皇のような神々しい笑みを湛えていたことに平伏したくなる気持で充たされて蒲団に潜り、蒲団の中で考えを巡らせたことといえば、御陵周辺の山々には新旧入り交じった複数の霊園が散在し多数の墓があり、各々が無数の骨を内包しているが許容量を溢れた分についてはその場所を離れ、白い骨から雲へ、また雪へと還流しているのではあるまいかと、そのような他愛もないことだった。雪が降り、無数の人が降り注いでは乾いていることになる。その乾いた土地にこれもまた白く乾いた皮膚の老人が天皇のような表情で平然と歩いている。僕は青白い顔と赤眼のままで白い蒲団に潜り、昏々と眠る。