日記

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車で20分ほどの公園に行き、バドミントンや遊具で遊んだ。広場の隅っこにレジャーシートを広げて弁当を食べ、さらに公園内を歩きまわって、帰りの車では子どもたちは熟睡していた。日替わりで別の公園には行ったものの年末年始は概ねこのように過ごしていた。写真を見ても平和な日常としか思えない。実際にはひどく緊張感のある年末年始だった。

11月中旬から外食を止め、12月中旬からは買物の頻度を減らし、ここ数日はドアノブなどを拭くようになった。この行動が過剰なのか、それとも不十分なのかは判断がつかない。確率が上下しても目には見えないからだ。

年末にはガン治療中の母の通院先でクラスターがあり、さらに俺が行きつけのハンバーガー屋にてクラスターがあり今も休業している。そのほか知人の知人レベルでは感染者や死者を聞くようになり、どれほどの確率で自分への脅威となっているのかは分からないが、確率が上昇していることには疑いがない。

累計の感染者が日本では20万人を超え、すでに500人に1人は感染した計算になる。たとえば、子どもの通う小学校には500人を超える生徒がいるから、単純計算では感染者がいつ発生しても不思議はない。緊急事態宣言を待たずに臨時休校となることも想定して、食料品などを備蓄はしている。

もしもロックダウンとなれば負担は大きいが、それで感染を回避できるのなら受け入れることはできる。しかしロックダウンせずに、確率と緊張感がじりじりと上昇するのを強いられることには、心身が持たない。

年始早々に何を書いているのかと自分でも思うが、平常心を保つために今年も引き続きここに書くことになるのだろう。