五月

息子は保育園に慣れ、今月からはフルタイムで通い始める。妻は長い育休を終えて、まもなく職場に復帰する。俺はとくに変わることはなく、自宅にこもって仕事を淡々とこなす日々が続く。朝夕の保育園送迎がちょいと負担にはなる。具体的には抱っこひもで肩凝りが辛い。なるべく早く自転車での送迎に切り替えたい。

五月を無事に見送り、六月を迎えた。新しい月を迎えることに過敏になっている。くるり『東京』の『あい変わらず季節に敏感にいたい』は好きな歌詞だが、俺はできれば鈍感でいたい。基本的には毎日、子どもたちと笑いながら過ごしている。意図的にそうしている訳でもなく、本当に毎日楽しいのだ。

母の体調は宜しくないが、宜しくするつもりで動いているので、思考と言動には乖離がある。ほかに適切な場もないのでここに書くと、母は2年か3年ほどだろうか。某EGFR肺がん治療薬の全生存期間の中央値が34ヶ月というのを根拠に考えている。思った以上に転移が多く、厳しい状況ではある。

自分の人生の中でもっとも良い時期と、もっとも良くない時期がいま同居している。子どもたちと妻はかわいいし仕事も軌道に乗ってきた。人生がこんなにも複雑で重層的なものだとは考えたことがなかった。シンプルな不幸や幸福ではなく、よく分からない。分からないものを分からないままで書き留めることを、しばらくは続ける。