ノート

GW明けに母が左胸の痛みを訴え、受診すると左でなく右肺にがんの疑いありとのことで、立て続けに精密検査を受けた。結果的にはやはり肺がんで、副腎や脳に転移があるという。脳の患部はごく小さく、1回の放射線照射で治るらしい。来週にも処置を受ける。

どれだけ延命できるのかは医者にも分からない。遠隔転移しておりステージ4ではあるが、末期ではないと言われた。進行が遅ければ数年は生きられるかもしれないし、もちろん急速に進行する場合もある。まだ50代なので体力はあるはずだが、あるいは若いことが何かマイナスに働く場合もあるのかも分からない。人間いつかは死ぬのだけど、なるべく長くいてほしいとは思う。そして母はまだ生きているのだから、悲しむことは何一つない。周囲の人間は笑っているべきだ。

最初の告知から10日しか経っておらず、流れが早すぎるので書き留めておく。続きを書くかどうかは分からん。

海から海へ

「短編」第200期参加・優勝作品(2019年5月12日)
http://tanpen.jp/200/9.html


遠浅の海に足を浸しながら、ここにいるアサリの数を考える。広さを何平方キロと仮定し、などとフェルミ推定を使うよりも漁協に聞いたほうが早いのだろう。この海に棲みついている数より、潮干狩りのために撒いている数のほうがきっと多いのだ。水揚げが低迷するアサリのかわりに、遠い海のかなたから船底に付着してきたホンビノス貝が、この海の新しい名産品になっているのだと聞いた。ホイル焼きかクラムチャウダーにすると旨いらしい。

一昔前に採用面接で流行ったというフェルミ推定が実際にどんなものか自営業者の僕が知るはずもないから、もしも面接官を務める機会があれば、遥々とアメリカ西海岸から日本まで旅をしてきたホンビノス貝の気持ちを考えましょう、などと小学生向けのような質問を投げかけたい。何の能力を測るのかは分からないが。

西海岸の干潟に生まれ、暖かな海中を浮遊幼生として漂い、成長すれば干潟に再び沈着し、潮が引けば日差しに照らされて砂に潜り込む、その平穏な繰り返しだけで一生を終えるはずだった貝が、ふと現れた固いものにしがみつく。それが岩礁や護岸でなく船体だったために遠い外洋へ運ばれていく。深く冷たい海の上を進み、海流に揉まれながら海中の国境を越えていく、そのあいだに貝は何を考えて……といっても高度な意識も視力も持たない貝たちは、異存もなく異国の海にあっさりと慣れ親しんだのかもしれない。

遠浅の海に足を浸しながら考える。浮遊する稚貝たちが足にしがみついて、このまま僕が陸に上がれば彼らは干し貝になる。このまま海に足を浸していれば僕の足がふやける。このまま遠浅の海を歩いていけば、遠浅という言葉のとおりに遠い沖まで際限なく歩けそうにも思える。

稚貝たちと僕を外洋へ連れ出すような大きな船が、この干潟には乗り入れてこないのなら、かわりにカヤックでも浮輪でもいいから外洋へ、どこか遠くの海へ流されていき、どこかの見知らぬ干潟へ流れ着きたい。いや、思い返してみれば自分がいま立っている干潟が、いつか辿り着いた見知らぬ干潟なのだと気がついた。生まれる場所も暮らす場所も自分の意志では選べない、そんなのは貝にも人にも当り前のことだ。

海水に流されて稚貝たちは再び沖へ向かった。僕はもうどこへも向かわずに、子どもたちの待つ家へ帰る。砂から掘り出した大きな貝をいくつかビニール袋へ放り込む。ホイル焼きかクラムチャウダーを作って夕食にしようか。

お金の話

年末年始を心穏やかに過ごせるかどうかの要因として「お金に困っていないこと」が大きいと気付いたのは昨年のことで、つまり、自分の人生で初めてお金に困らない冬を迎えたのだけど、僕のいう「お金に困らない」とはすなわち「2~3ヶ月先までの生活費の見通しが立っている」程度でしかなく、あいかわらず貯金は少ない。いま暖かい服を着ていて、暖房の効いた部屋にいて、食料を買うお金がある、という程度のことで心穏やかに過ごせてしまうのは、良いことなのか悪いことなのか分からない。

『職業について「○○で食べていく」という表現がとても苦手だ』とツイッターに書いた。来年で僕も35歳になるのだし、稼がなければいけない、という気持ちも多少は涌いてきたのだけど、それがどうにも「食べること」には結びつかない。お金があってもなくても今まで食事をとらない日はなかった。お金がないときに耐乏生活で乗り切ったという話でもなく、ふつうに米を炊いていたし、具体的には月収7万のときでも食事には困った覚えがない。もちろん今は妻子がいるので月収7万では少し困るかなと思うけれど、それでも、「子どもを食わせるために働く」みたいな恩着せがましい言い方には強い抵抗感があって、僕はいざというときには「働きたくないからアルバイトしてくれ」と子どもに頼み込みたいと思っている。……あれ? やっぱり働かないと食えないのか? 脱線しそうなので段落を変える。

「懐が暖かい」「懐が寒い」などの慣用句が気温の高い低いではないと分かってはいるけれど、それでも、お金のない冬は本当に芯まで冷えきったように寒い。来年の今頃の目標としては、少なくとも冬を乗り切れる程度の貯金があること、としておきたい。それよりも多額のお金、たとえばゴーンさんのように僕が10億円を貰ったとしても、暖める部屋は2LDKしかないのだし、防寒着はもう高校生のときに買ったスキーウェアで十分に暖かいので買い足す必要がないし、食料もコープやダイエーで買うだろうから10億円はかからない。そういえばゴーンさんは田町の焼き鳥屋の常連だったらしいけど10億円分の焼き鳥を食べてた訳じゃないだろうし、それなら10億円も貰うんじゃないよ限度ってもんがねえのか。脱線しそうなので段落を変える。

あさっての仕事納めまでに仕事が納まるかどうかの瀬戸際なのに、気分転換を口実についブログを書き始めてしまったけれど、ここまでの所要時間は15分くらいだから大した脱線ではあるまい。10月に子どもが生まれてから仕事の合間に家事をやったり家事の合間に仕事やったり、食事作ったり掃除したり、上の子どもがおねしょすれば着替えさせて洗濯もしたり、仕事はいま一年で一番忙しい時期だったりとカオスだったのだけど、過ぎ去ってみると思いのほかあっさりと、すべての仕事をしっかりと片付けてしまっていた。仕事の合間に食事を作るのは大変だけど楽しくて、良い気分転換にもなっていた。

来年以降もずっと美味しいものを作ろう(俺の作る料理は旨い)、お金もそれなりには稼ごう。その二つは結びつけずに、できれば別々のものとして考えていこう。一人の人間が食べるために必要なお金はそれほど多くない(10億円は要らない)。人間は働かなくても食っていけるべきだ。

文字を書いてもいい

保育園の年長にもなると、ただ自由に遊ぶだけではなく規律が増えてきたり、規律を守るかどうかで厄介事が多くなってくる。今朝は、登園した子どものところへ友だちが駆けてきて、「○○○、なんで絵に文字を書いたの? 保育園ではまだ文字を書いちゃいけないんだよ!」と詰め寄ってきた。文字を書いてはいけないなんて規律は守る必要がないし、この子が取り締まることでもないのだけど、何をそんなに怒っているのだ? と思ったのだけど、幼児にその理屈を説明するのもなかなか難しい。おそらく、先生がダメだと言ったからダメなのだと思い込んでいるだけで、べつに確固とした理由があるわけではないのだろう。5秒ほど考えた結果として、その友だちに対して僕がかけた言葉は、次のようになった。

「書いてもいいんだよーだ。パパがいいって言ってるんだから、いいんだよ」

そうすると、意外にも、その友だちの表情が和らいだ。「書いてもいい」という別の価値観が持ち込まれたことが面白かったのか、あるいは僕の顔(変顔をしながら言った)が可笑しかったのかは分からない。いずれにしても緊張が解けたことは確かで、詰め寄られていた子どもの顔も緩んだのがよく分かった。理由のよく分からない規律や禁止に対して、もちろん理詰めで対抗することも有効だし、僕自身はそういう傾向があるのだけど、子どもに対しては「いいんだよ」の一言でいいのかもしれない。元より禁止が好きな子どもはいないのだから、どんどん解いていこう、と思った。

少しだけ補足の話をすると、この件については保育園の先生たちに疑念の目は向けている。保育園の公式見解としては「文字を書くことを禁止はしない」「子どもの成長段階にはまだ早いので、積極的に教えたりはしない」ということだが、現場ではまた異なるようで、たびたび子どもが「先生に書いちゃダメって言われた」と言っている。そのたびに妻が「書いてもいいんだよ、先生がそんなこと言う訳ないよ」と言うのだけれど、僕はただシンプルに「先生が嘘をついている」と思う。子どもが先生に言われたというなら、きっと、先生は言ったのだろう。そして当然ながら、先生たちの嘘は、子どもたちも見聞きしてしまうことになる。

保育園に対して期待するのは保育なので、安全に預かってさえもらえれば、あとは教育方針などに異議を唱えるつもりもない。そして先生たちもただの人間なので、嘘をつくこともあるだろうし、この件について深く追及するつもりもない。小学校に上がれば、さらに愚劣な大人が増えるのだろうし、いちいち立ち向かっている暇もない。

今後また何かあれば、他人に禁じられたものを「やっていいよ」と解いてあげたり、他人に強制されたものを「やらなくていいよ」と解いてあげる役割を果たしていこうとは考えている。いつか子どもが自分自身で「これはやる」「これはやらない」と決められるようになるまで、あと何年かはそうしようと思っている。