ボディキャップ魚眼レンズ

ヨドバシカメラで衝動的に9千円の魚眼レンズを買った。人生でいろいろと難しいことがあり、ふと思いきって視野を広げたくなったのだ。被写体を大きく写したければ自分が歩み寄れば済むことだけど、人間の目が持つ視野(約120度らしい)の外側にある風景は、フットワークでは獲得できない。だから時には道具に頼る。カメラレンズとしては非常に安い、しかし俺にとっては衝動買いできる上限に近い価格だが、これがともかく抜群に良いレンズだった。

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ぜんそく

市民プールで2時間ほど浮輪で遊び、帰って少し眠り、夕飯の買出しのためスーパーに行く。店に入って少し経った頃、賑やかだった子どもが急に静かになり、何も喋らずにぼろぼろと涙をこぼし始めた。それから大声で泣き続けるので買い物は中断し、どこか痛いのか苦しいのかときいても答えない。口の奥や喉のあたりに違和感がある様子で、声がうまく出せない、呼吸も苦しいという素振りを見せるので、これはもしかして喘息の軽い発作なのかと思い至った。

炎天下から冷たいプールに出たり入ったりして疲れたところに、冷房が強烈に効いたスーパーに入ったのが刺激になったのだろうと考えた。もちろん素人考えだから確信はないし明日は内科・呼吸器科へ連れて行く。ただし自分がかつて同じ症状によくなっていたのと、気管支喘息もどうやら遺伝したらしいと医者には言われたから、そう間違いでもない気はする。

自分の病気でも辛いときには辛いのだが、程度を自ら把握できるから、あまり深刻な気持にはならない。これが他人の場合だと、どのくらい辛いのかが分からず、程度を把握できないことが辛い。子どもはもうすぐ5歳になるから日常的には言葉でコミュニケーションしているけれど、今日は久しぶりに言葉が完全に通じなくなり、30分ほどまったく泣き止まないときは救急外来へ駆け込もうかと考えたほどだった。

最初の騒ぎから2時間が経ってようやく、少しづつ喋るようになり、時折、笑うようにもなって、絵本を読み聞かせると眠りについた。絵本「きしゃのゆ」を子どもは気に入っていて、風呂で汽車のエントツを洗うと鳥のフンが出てくるあたりでいつも笑う。今年の夏はもうプールには行かないし、運動も少し控えめにするが、かわりに図書館で多めに絵本を読ませることにする。

 こどものとも「きしゃのゆ」http://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=2564

ケルヒャー

先月の誕生日、妻からケルヒャーの高圧洗浄機をもらった。ユニットバスの分解掃除を、業者に頼めば2万近く掛かるけれど、そのお金で高圧洗浄機を買ったほうが楽しそうという話になったのだ。

ユニットバスの分解は、昨年に続いて2度目だ。前面のフタを外して浴槽や床が露わになると、そのままそっとフタを閉めたくなるくらい汚れている。けっして手で触りたくはない、ぶよぶよとした謎の物質におおわれていて、うっかり手がすべって指についたりすると最悪の気分になる。けれども今年はケルヒャーがあるから大丈夫だ。

水圧をMAXにして浴槽に発射すると、勢いよく飛び散った黒い汚れが、天井や壁や手足にひっついて最悪の気分になった。初めから全開にしてはいけない。弱い水流で少しづつ汚れを落とし、どうしても落ちない汚れには強く水を当てればいい。だんだんコツが掴めてきた。

浴室がピカピカになる頃には、水しぶきが霧のように充満して、頭から足まで全身ずぶ濡れになっていた。浴室の清掃業者の人は、この水しぶきにどう対応しているのか。全裸になるか宇宙服を着るくらいしか思いつかないけど、まあ企業秘密なんだろうなと思う。

車とカヌー

いつかお金に余裕ができたときは、車とカヌーを買おうと考えている。もしも買えなくても不満ではない。無ければ無いなりに人生は進んでいく。自由にどこへでも旅行できた独身のときより、不自由だけど賑やかで騒がしい今の生活を気に入っている。

webshop.montbell.jp

ヒッチハイクで旅行していた時期、計50~60台に乗せてもらい、その大半が仕事に向かう人々だった。埼玉から岩手へ、東京から大阪へ、茨城から山口へ移動する人々と会話しながら、俺もこうやって長距離を移動しながら働きたいものだと思った。場所に囚われないことが自由で魅力的に思えた。

時は流れて現在、だいたい亀戸・神田・神保町あたりを日替わりに仕事場としている。目論見はやや外れて、どこにいてもパソコン仕事だから大きな変化は感じられない。いつか日本中や世界中を旅しながらリモートワークすることがあっても、パソコンに向かっていては、心が亀戸から離れない気がする。

「移動すること」には昔も今も変わらず興味がある。なぜ人は移動するのかと日々考えている。そして一つどころから移動できないことは不自由ではなく、たとえば今の自分にとって必要なのは、働く時間を減らして亀戸のコメダ珈琲で本を読み、心だけカヌーに乗せて旅立つような自由だ。車の本とカヌーの本を読む時間を作らなければ。

野田知佑bot

少し暇ができたのでツイッター野田知佑botを更新した。以下は新たに追加した12個。登録されているツイートは計142個。

写真を撮ってAcrobatで文章化も試してみたが、縦書きの日本語OCRは精度が悪く、今のところはすべて手打ちで入力している。何か効率的な方法があれば教えてください。

twitter.com

  • 教会が一つ、小、中、高校までを合わせた「教室二つの学校」、長さ一五六〇メートルの砂利の滑走路一本、ホテル一軒、雑居宿一軒、食料雑貨店一軒――というのがベトルスの概要だ。主な建物はすべて森を広く切り開いた飛行場のまわりにあり、便利がいい。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ)
  • 四〇トンの大型ブルドーザーを全部バラして、小さなセスナ機で何度も運び、アラスカの山奥に運んだ話を読んだことがある。カナディアンカヌーをフロートにしばりつけて飛ぶのはよく見る光景だ。ここでは飛行機で何でも運んでしまうのだ。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 前編)
  • 「川下りを楽しんでくれ。グッドラック」 機が飛び立ち、四人と一匹は北極圏の山中に取り残された。不意に静けさがあたりを押し包むと、ぼくはニヤニヤした。この人間社会との杜絶感と解放感が好きだ。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 前編)
  • 三日目に出発。湖から川に入る。ジンのように澄んだ水が時速七キロで流れだしている。あちこちに大きな魚の影が走る。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 前編)
  • 路の両脇にあるブルーベリーの実をかき集め、口に押し込む。甘味が体の中に沁み渡り、糖分のエネルギーで少し元気が回復するのが判る。ぼくは膝をついたままブッシュを這ってクマのように青い実をむさぼり食った。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 後編)
  • 翌朝、目覚めて外を見ると水がテントすれすれの所まで来ていた。このあたりの地表三〇センチ下は永久凍土で水を吸収できないので、雨はそっくり川に流れ込み、いきなり増水する。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 後編)
  • 「コブック村までどのくらいあるの」「あと一〇曲がり(テン・ベンズ)ぐらいだね」 このあたりの川はみな蛇行しているから、川の距離を「一曲がり、二曲がり」で表す。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 後編)
  • 目を大きく開いたり、眉をちょっと上げるのが「イエス」、鼻をしかめたら「ノー」という意味だ。「コヤナ(さよなら)」というと顔いっぱいに笑みを浮かべ、気をつけて、といった。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 後編)
  • 再び川の上。右手の山は上半分は森林限界線を越えているのだろう、一本の木もなく凄絶な感じがする。北極の初秋の陽がうらうらと柔らかく照って背後からそよ風が吹き、いい気持ちだった。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 後編)
  • オーロラを見て騒いでいる連中を横目で見ながら、「あんなもの俺毎日見ている」とうそぶいている奴もいた。だって新宿で飲めば、空はオーロラよりきれいに輝いているし、酔って頭をぶっつければ星なんかいくらでも見えるというのだ。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ テズリン、ユーコン川
  • 人は指先だけではなく、背筋と胸筋、上腕筋を使った生活をしなければならない。そして、胸のすくような生き方をするのだ。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ テズリン、ユーコン川
  • 山手線の電車に乗ろうとして、あまりの混みように驚き次のにしよう、と待つ。そして二、三台やり過ごした後で、東京の電車はいつもこんなに混んでいることを想い出すのだ。(『ハーモニカとカヌー』 第二章 カヌー彷徨 北上川吉野川