車とカヌー

いつかお金に余裕ができたときは、車とカヌーを買おうと考えている。もしも買えなくても不満ではない。無ければ無いなりに人生は進んでいく。自由にどこへでも旅行できた独身のときより、不自由だけど賑やかで騒がしい今の生活を気に入っている。

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ヒッチハイクで旅行していた時期、計50~60台に乗せてもらい、その大半が仕事に向かう人々だった。埼玉から岩手へ、東京から大阪へ、茨城から山口へ移動する人々と会話しながら、俺もこうやって長距離を移動しながら働きたいものだと思った。場所に囚われないことが自由で魅力的に思えた。

時は流れて現在、だいたい亀戸・神田・神保町あたりを日替わりに仕事場としている。目論見はやや外れて、どこにいてもパソコン仕事だから大きな変化は感じられない。いつか日本中や世界中を旅しながらリモートワークすることがあっても、パソコンに向かっていては、心が亀戸から離れない気がする。

「移動すること」には昔も今も変わらず興味がある。なぜ人は移動するのかと日々考えている。そして一つどころから移動できないことは不自由ではなく、たとえば今の自分にとって必要なのは、働く時間を減らして亀戸のコメダ珈琲で本を読み、心だけカヌーに乗せて旅立つような自由だ。車の本とカヌーの本を読む時間を作らなければ。

野田知佑bot

少し暇ができたのでツイッター野田知佑botを更新した。以下は新たに追加した12個。登録されているツイートは計142個。

写真を撮ってAcrobatで文章化も試してみたが、縦書きの日本語OCRは精度が悪く、今のところはすべて手打ちで入力している。何か効率的な方法があれば教えてください。

twitter.com

  • 教会が一つ、小、中、高校までを合わせた「教室二つの学校」、長さ一五六〇メートルの砂利の滑走路一本、ホテル一軒、雑居宿一軒、食料雑貨店一軒――というのがベトルスの概要だ。主な建物はすべて森を広く切り開いた飛行場のまわりにあり、便利がいい。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ)
  • 四〇トンの大型ブルドーザーを全部バラして、小さなセスナ機で何度も運び、アラスカの山奥に運んだ話を読んだことがある。カナディアンカヌーをフロートにしばりつけて飛ぶのはよく見る光景だ。ここでは飛行機で何でも運んでしまうのだ。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 前編)
  • 「川下りを楽しんでくれ。グッドラック」 機が飛び立ち、四人と一匹は北極圏の山中に取り残された。不意に静けさがあたりを押し包むと、ぼくはニヤニヤした。この人間社会との杜絶感と解放感が好きだ。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 前編)
  • 三日目に出発。湖から川に入る。ジンのように澄んだ水が時速七キロで流れだしている。あちこちに大きな魚の影が走る。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 前編)
  • 路の両脇にあるブルーベリーの実をかき集め、口に押し込む。甘味が体の中に沁み渡り、糖分のエネルギーで少し元気が回復するのが判る。ぼくは膝をついたままブッシュを這ってクマのように青い実をむさぼり食った。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 後編)
  • 翌朝、目覚めて外を見ると水がテントすれすれの所まで来ていた。このあたりの地表三〇センチ下は永久凍土で水を吸収できないので、雨はそっくり川に流れ込み、いきなり増水する。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 後編)
  • 「コブック村までどのくらいあるの」「あと一〇曲がり(テン・ベンズ)ぐらいだね」 このあたりの川はみな蛇行しているから、川の距離を「一曲がり、二曲がり」で表す。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 後編)
  • 目を大きく開いたり、眉をちょっと上げるのが「イエス」、鼻をしかめたら「ノー」という意味だ。「コヤナ(さよなら)」というと顔いっぱいに笑みを浮かべ、気をつけて、といった。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 後編)
  • 再び川の上。右手の山は上半分は森林限界線を越えているのだろう、一本の木もなく凄絶な感じがする。北極の初秋の陽がうらうらと柔らかく照って背後からそよ風が吹き、いい気持ちだった。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 後編)
  • オーロラを見て騒いでいる連中を横目で見ながら、「あんなもの俺毎日見ている」とうそぶいている奴もいた。だって新宿で飲めば、空はオーロラよりきれいに輝いているし、酔って頭をぶっつければ星なんかいくらでも見えるというのだ。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ テズリン、ユーコン川
  • 人は指先だけではなく、背筋と胸筋、上腕筋を使った生活をしなければならない。そして、胸のすくような生き方をするのだ。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ テズリン、ユーコン川
  • 山手線の電車に乗ろうとして、あまりの混みように驚き次のにしよう、と待つ。そして二、三台やり過ごした後で、東京の電車はいつもこんなに混んでいることを想い出すのだ。(『ハーモニカとカヌー』 第二章 カヌー彷徨 北上川吉野川

ただの日記

ツイートよりは長く、けれど10分で書ける程度の日記を、なるべく書き続けることを目標にしてブログ再開。

夕方4時に保育園の迎えに行った。なんで今日は早いの? と娘の友だちに訊かれる。首や肩にできた水いぼ(伝染性軟属腫)を見せ、ここに鼻くそがついてるから皮膚科で取るんだよ、と言ったら笑い転げていた。自宅に帰ってからペンレステープ(局部麻酔薬)を貼り、1時間ほど待って麻酔が効いたころに皮膚科へ。

子どもは思いのほか痛がらず、泣くこともなかった。水いぼをピンセットで摘むときに医者から「パパのほうを見ててごらん」と言われても、少しもこちらを見ずに、水いぼを詰んで血が出るのを凝視している。見ているこちらが辛くなるが、そういえば俺は血を見ると気分悪くなるのだった。子どものほうが強い。

皮膚科を出て、痛いのを我慢したからジュースを買ってあげようと話したら、ぜんぜん痛くなかったよと子どもが嬉しそうに言う。オレンジジュースは一口も分けてくれずに一人で飲み干していた。

卒園式あいさつ

子どもの通う保育園で卒園式があり、父母代表のあいさつをしてきた(自分の子どもはまだ4歳なので見送る側)。上がり性のために、まともに話せた気はしないのだが、原稿をここに書き残しておこうと思う。

神谷美恵子『ハリール・ジブラーンの詩』は図書館で借りてきて、いま読んでいる。

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△△組の皆さん、保護者の皆さま、ご卒園おめでとうございます。
ご来賓の皆さま、先生方におかれましては、お忙しい中、ご臨席をたまわり、誠にありがとうございます。
いつも子どもたちを温かく見守っていただき、心より感謝しております。

本日は父母会を代表してのご挨拶ということで、保護者の皆さまへ、私が大切にしている一冊の本をご紹介します。写真家、星野道夫さんの『長い旅の途上』という本です。星野さんのお子さんがまだ一歳にもならない赤ちゃんのときに書かれた文章を、少々ここで引用したいと思います。

『子どもの瞳に、親の存在などと関係なく、一人の人間として生きてゆく力をすでに感じるのはなぜだろう。そんな時、ふと、カリール・ギブランの詩を思い出す。――あなたの子供は、あなたの子供ではない。彼等は、人生そのものの息子であり、娘である。彼等はあなたを通じてくるが、あなたからくるのではない。彼等はあなたとともにいるが、あなたに屈しない。あなたは彼等に愛情を与えてもいいが、あなたの考えを与えてはいけない。何故なら、彼等の心は、あなたが訪ねてみることもできない、夢の中で訪ねてみることもできない、あしたの家にすんでいるからだ――』

ここまでが、星野さんの本と、そこに書かれている詩の引用です。小さな子どもであっても、すでに親からは自立している一人の人間なのだ、ということが書かれています。

○○保育園の6年間で、子どもたちは見違えるように大きく、たくましくなりました。これから小学校に入り、さらに活発に、勉強や遊びを頑張っていくことと思います。子どもの成長に対して嬉しいような、少し寂しいような気持があるかもしれません。私たちはこれから子どもたちに対して、いつもそばにいて愛情をもって見守ってあげること、それが一番、大事なことなのだろうと思います。

今日こうして子どもたちが無事に卒園の日を迎えることができたのも、保護者の皆さま、そして、○○保育園の先生方に、温かな愛情をもって見守っていただいたおかげです。本当にありがとうございました。

○○保育園のますますのご発展と、先生方のご健勝をお祈りいたしまして、簡単ではございますが、私の挨拶とさせていただきます。

 

長い旅の途上 (文春文庫)

長い旅の途上 (文春文庫)

 

 

 

川野

「短編」第67期参加・予選通過作品(2008年4月12日)
http://tanpen.jp/67/26.html


 荒川で友人と釣りをしていると、川下から静かに永谷園のお茶漬け海苔が流れてきた。ビニールの外装に包まれたそいつを拾い上げ、個装の紙袋が濡れていないのと、賞味期限まで二年以上あるのを見て、再び川に浮かべた。そしてしばらく笑い転げながら不思議に思ったのは「川下から」流れてきたことだった。流れのほとんどない下流域とはいえ、風もなく帆も張らないのに遡行できるものだろうか。何より可笑しかったのは、川面に浮かんでいたのが綺麗な未開封のお茶漬け海苔、ということだった。

 十年後、僕は地理学科の学生になり、友人は二児の父親となっていた。あるとき唐突に、結婚するぜ、とメールを寄越して、何事かと友人のアパートに行けば、五歳と三歳くらいの子どもが走り廻っている。子連れの女性と同棲を始めた彼は、何もしていないのに子どもを儲けたのだった。僕は子どもたちと一緒に絵を描いて遊び、麦茶をこぼした服を着替えさせ、手慣れてるねえと友人の彼女さんにひどく感心された。

 友人のアパートは中川沿いの低地にあり、暮らすにはよいところだが、大雨が降ると膝の辺りまで水に浸かる。台風のときには溢れそうなほどに中川の水位が上がった。もしも溢れたならアパートは押し流され、辺りが海のような光景となるに違いないけれど、それはきわめて自然なことでもある。大昔には海水に浸かっていた場所が、海退によって「土地」となったが、それが再び海に戻るだけのことだと思った。僕の暮らしている荒川沿いの低地は、やはり六千年前には海だった。あるいは一日のあいだにも海は満ち干を繰り返していて、河口から二十キロも離れた浦和における荒川の水位が、潮位の変化に合わせて上下しており、川下から川上に向かって水の流れる時刻がある。

 川面を行き来するお茶漬け海苔は、水に揉まれて海底にも固い地表にもなる土地のようだな、と、友人に話したとしても何のことやら皆目判らないだろうし、自分でもつまらない喩え話だと思っているから話さずにいる。土地がいつか海に戻り、お茶漬け海苔がいつか流されて海に戻り、僕と友人がいつかの釣りをしていた中学生には戻らないことも、ひどくつまらない当り前のことだから話さない。話さないけれど僕自身が忘れないように書き留める、ただそれだけのことで、忘れたからといって困りはしないし哀しくはないが、書き留めておけば、あとで読み返した僕と、僕の子どもたちが愉しい。