野田知佑bot

少し暇ができたのでツイッター野田知佑botを更新した。以下は新たに追加した12個。登録されているツイートは計142個。

写真を撮ってAcrobatで文章化も試してみたが、縦書きの日本語OCRは精度が悪く、今のところはすべて手打ちで入力している。何か効率的な方法があれば教えてください。

twitter.com

  • 教会が一つ、小、中、高校までを合わせた「教室二つの学校」、長さ一五六〇メートルの砂利の滑走路一本、ホテル一軒、雑居宿一軒、食料雑貨店一軒――というのがベトルスの概要だ。主な建物はすべて森を広く切り開いた飛行場のまわりにあり、便利がいい。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ)
  • 四〇トンの大型ブルドーザーを全部バラして、小さなセスナ機で何度も運び、アラスカの山奥に運んだ話を読んだことがある。カナディアンカヌーをフロートにしばりつけて飛ぶのはよく見る光景だ。ここでは飛行機で何でも運んでしまうのだ。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 前編)
  • 「川下りを楽しんでくれ。グッドラック」 機が飛び立ち、四人と一匹は北極圏の山中に取り残された。不意に静けさがあたりを押し包むと、ぼくはニヤニヤした。この人間社会との杜絶感と解放感が好きだ。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 前編)
  • 三日目に出発。湖から川に入る。ジンのように澄んだ水が時速七キロで流れだしている。あちこちに大きな魚の影が走る。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 前編)
  • 路の両脇にあるブルーベリーの実をかき集め、口に押し込む。甘味が体の中に沁み渡り、糖分のエネルギーで少し元気が回復するのが判る。ぼくは膝をついたままブッシュを這ってクマのように青い実をむさぼり食った。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 後編)
  • 翌朝、目覚めて外を見ると水がテントすれすれの所まで来ていた。このあたりの地表三〇センチ下は永久凍土で水を吸収できないので、雨はそっくり川に流れ込み、いきなり増水する。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 後編)
  • 「コブック村までどのくらいあるの」「あと一〇曲がり(テン・ベンズ)ぐらいだね」 このあたりの川はみな蛇行しているから、川の距離を「一曲がり、二曲がり」で表す。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 後編)
  • 目を大きく開いたり、眉をちょっと上げるのが「イエス」、鼻をしかめたら「ノー」という意味だ。「コヤナ(さよなら)」というと顔いっぱいに笑みを浮かべ、気をつけて、といった。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 後編)
  • 再び川の上。右手の山は上半分は森林限界線を越えているのだろう、一本の木もなく凄絶な感じがする。北極の初秋の陽がうらうらと柔らかく照って背後からそよ風が吹き、いい気持ちだった。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ コブック川 後編)
  • オーロラを見て騒いでいる連中を横目で見ながら、「あんなもの俺毎日見ている」とうそぶいている奴もいた。だって新宿で飲めば、空はオーロラよりきれいに輝いているし、酔って頭をぶっつければ星なんかいくらでも見えるというのだ。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ テズリン、ユーコン川
  • 人は指先だけではなく、背筋と胸筋、上腕筋を使った生活をしなければならない。そして、胸のすくような生き方をするのだ。(『ハーモニカとカヌー』 第一章 荒野へ テズリン、ユーコン川
  • 山手線の電車に乗ろうとして、あまりの混みように驚き次のにしよう、と待つ。そして二、三台やり過ごした後で、東京の電車はいつもこんなに混んでいることを想い出すのだ。(『ハーモニカとカヌー』 第二章 カヌー彷徨 北上川吉野川

ただの日記

ツイートよりは長く、けれど10分で書ける程度の日記を、なるべく書き続けることを目標にしてブログ再開。

夕方4時に保育園の迎えに行った。なんで今日は早いの? と娘の友だちに訊かれる。首や肩にできた水いぼ(伝染性軟属腫)を見せ、ここに鼻くそがついてるから皮膚科で取るんだよ、と言ったら笑い転げていた。自宅に帰ってからペンレステープ(局部麻酔薬)を貼り、1時間ほど待って麻酔が効いたころに皮膚科へ。

子どもは思いのほか痛がらず、泣くこともなかった。水いぼをピンセットで摘むときに医者から「パパのほうを見ててごらん」と言われても、少しもこちらを見ずに、水いぼを詰んで血が出るのを凝視している。見ているこちらが辛くなるが、そういえば俺は血を見ると気分悪くなるのだった。子どものほうが強い。

皮膚科を出て、痛いのを我慢したからジュースを買ってあげようと話したら、ぜんぜん痛くなかったよと子どもが嬉しそうに言う。オレンジジュースは一口も分けてくれずに一人で飲み干していた。

卒園式あいさつ

子どもの通う保育園で卒園式があり、父母代表のあいさつをしてきた(自分の子どもはまだ4歳なので見送る側)。上がり性のために、まともに話せた気はしないのだが、原稿をここに書き残しておこうと思う。

神谷美恵子『ハリール・ジブラーンの詩』は図書館で借りてきて、いま読んでいる。

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△△組の皆さん、保護者の皆さま、ご卒園おめでとうございます。
ご来賓の皆さま、先生方におかれましては、お忙しい中、ご臨席をたまわり、誠にありがとうございます。
いつも子どもたちを温かく見守っていただき、心より感謝しております。

本日は父母会を代表してのご挨拶ということで、保護者の皆さまへ、私が大切にしている一冊の本をご紹介します。写真家、星野道夫さんの『長い旅の途上』という本です。星野さんのお子さんがまだ一歳にもならない赤ちゃんのときに書かれた文章を、少々ここで引用したいと思います。

『子どもの瞳に、親の存在などと関係なく、一人の人間として生きてゆく力をすでに感じるのはなぜだろう。そんな時、ふと、カリール・ギブランの詩を思い出す。――あなたの子供は、あなたの子供ではない。彼等は、人生そのものの息子であり、娘である。彼等はあなたを通じてくるが、あなたからくるのではない。彼等はあなたとともにいるが、あなたに屈しない。あなたは彼等に愛情を与えてもいいが、あなたの考えを与えてはいけない。何故なら、彼等の心は、あなたが訪ねてみることもできない、夢の中で訪ねてみることもできない、あしたの家にすんでいるからだ――』

ここまでが、星野さんの本と、そこに書かれている詩の引用です。小さな子どもであっても、すでに親からは自立している一人の人間なのだ、ということが書かれています。

○○保育園の6年間で、子どもたちは見違えるように大きく、たくましくなりました。これから小学校に入り、さらに活発に、勉強や遊びを頑張っていくことと思います。子どもの成長に対して嬉しいような、少し寂しいような気持があるかもしれません。私たちはこれから子どもたちに対して、いつもそばにいて愛情をもって見守ってあげること、それが一番、大事なことなのだろうと思います。

今日こうして子どもたちが無事に卒園の日を迎えることができたのも、保護者の皆さま、そして、○○保育園の先生方に、温かな愛情をもって見守っていただいたおかげです。本当にありがとうございました。

○○保育園のますますのご発展と、先生方のご健勝をお祈りいたしまして、簡単ではございますが、私の挨拶とさせていただきます。

 

長い旅の途上 (文春文庫)

長い旅の途上 (文春文庫)

 

 

 

川野

「短編」第67期参加・予選通過作品(2008年4月12日)
http://tanpen.jp/67/26.html


 荒川で友人と釣りをしていると、川下から静かに永谷園のお茶漬け海苔が流れてきた。ビニールの外装に包まれたそいつを拾い上げ、個装の紙袋が濡れていないのと、賞味期限まで二年以上あるのを見て、再び川に浮かべた。そしてしばらく笑い転げながら不思議に思ったのは「川下から」流れてきたことだった。流れのほとんどない下流域とはいえ、風もなく帆も張らないのに遡行できるものだろうか。何より可笑しかったのは、川面に浮かんでいたのが綺麗な未開封のお茶漬け海苔、ということだった。

 十年後、僕は地理学科の学生になり、友人は二児の父親となっていた。あるとき唐突に、結婚するぜ、とメールを寄越して、何事かと友人のアパートに行けば、五歳と三歳くらいの子どもが走り廻っている。子連れの女性と同棲を始めた彼は、何もしていないのに子どもを儲けたのだった。僕は子どもたちと一緒に絵を描いて遊び、麦茶をこぼした服を着替えさせ、手慣れてるねえと友人の彼女さんにひどく感心された。

 友人のアパートは中川沿いの低地にあり、暮らすにはよいところだが、大雨が降ると膝の辺りまで水に浸かる。台風のときには溢れそうなほどに中川の水位が上がった。もしも溢れたならアパートは押し流され、辺りが海のような光景となるに違いないけれど、それはきわめて自然なことでもある。大昔には海水に浸かっていた場所が、海退によって「土地」となったが、それが再び海に戻るだけのことだと思った。僕の暮らしている荒川沿いの低地は、やはり六千年前には海だった。あるいは一日のあいだにも海は満ち干を繰り返していて、河口から二十キロも離れた浦和における荒川の水位が、潮位の変化に合わせて上下しており、川下から川上に向かって水の流れる時刻がある。

 川面を行き来するお茶漬け海苔は、水に揉まれて海底にも固い地表にもなる土地のようだな、と、友人に話したとしても何のことやら皆目判らないだろうし、自分でもつまらない喩え話だと思っているから話さずにいる。土地がいつか海に戻り、お茶漬け海苔がいつか流されて海に戻り、僕と友人がいつかの釣りをしていた中学生には戻らないことも、ひどくつまらない当り前のことだから話さない。話さないけれど僕自身が忘れないように書き留める、ただそれだけのことで、忘れたからといって困りはしないし哀しくはないが、書き留めておけば、あとで読み返した僕と、僕の子どもたちが愉しい。

海退

「短編」第66期参加・予選通過作品(2008年3月12日)
http://tanpen.jp/66/17.html


 勤めていたカメラ屋に長い休暇の届けを出して、海に向かった。何日か何週間後か判らないが、海に足を浸すことができれば、すぐにも帰ると書き残してきた。了承を得られたかどうかは判らないが、一応、帰るべき場所はある。遠い海に続く幹線道路に立つと、時々、荷台にドラムバッグを括り付けた原付などが通り過ぎるのみで、乗せてもらおうと親指を立てても大きく手を振り返されて終わる。舗装路に薄く積もった灰色の砂埃が、原付のタイヤにまとわりついて離れないのを見る。遠ざかるエンジン音が正体不明の羽虫のようだと思い、鼻孔をくすぐられ本当の羽虫がいることに気付いた。静かに呼吸をする。

 僕が長らく自宅と職場に引き籠っていた間、季節は緩やかに巡り、薄日の射す天候が続きながらも木の葉は徐々に色づき、同時に海岸線は遠のいていった。漠然とした心持で遠くの干上がった海を夢想し、干上がった魚が市街に運ばれる様を思い浮かべるが、あるいは職場の休憩室で眠りに落ちるまで読んでいた短編の一節ではないかと思える。春先の黄ばんだ空が目に焼きついたせいか、補色である青の深まりを見せる現在の空が、濃度をさらに増して黒に近付いていくことを、なんとなく腑に落ちるように理解できるなら、海が遠ざかるより早く波打際に辿り着くべきだと結論を見出せる。

 過去に幾度も繰り返されているはずの海退を、目の当りにしている現在、普通の生活をすることには意味がない。海水が退いていくとき魚は一緒に流れていったのか、海藻に産みつけられた卵は残されたのか、それらの疑問が、僕の実生活には何の関わりもないけれど、事実を目に焼きつけたかった。それを書き残すこともなければ、写真に収めることもしないが、僕を拾いあげて海まで運んだ人々には何かしらの記憶が残るだろう。僕が魚と一緒に流れていったのか、陸地に取り残されたのか、記録には残らないほうが面白い。

 未だ海に辿り着くどころか、乗せてもらえる車一台さえ見つからないというのに、想像のなかで僕は頭から波をかぶって喜んでいる。再び鼻孔をくすぐられて我に返り、羽虫を追い払うが、乾いた空気中で湿りを求めているのだと思えば無下に殺すわけにもいかない。しばらく羽虫と格闘していると、羽音に紛れて一台のピックアップトラックが接近していた。左手を挙げて車を停める。助手席に乗り込むと、日焼けした初老の運転手は、海辺の町に帰るところだと言った。